パリコレモデルとして有名な冨永愛さん。
カッコよくて息子さんもいるお母さんでありすごく憧れますよね。
きっと今までも一線を走り続けてきて大変だけど華やかな生活をしてこられたであろうと思われますが、実はそうでもないんですね。
富永さんは若いころ、いじめにあったり差別された経験をお持ちのようなんです。
今回は【冨永愛はなぜいじめられた?そこからの克服までが壮絶すぎる…。】について調べてみました。
冨永愛はなぜいじめられたのか?
モデルとして活躍し、その後芸能活動をしたりして、37歳にしてパリコレ復帰を果たした富永さん。
しかし、小学生のころからあることが原因でいじめを受けてしまいます。
そのあることとは「高身長」だそうです。
今でこそモデルとしてこの高身長が何よりの武器であるわけですが、小学生のころはら身長が高い富永さんはそのことをからかわれいじめを受けていました。
身長が高い低いに何の差もないのに小学生の頃ってそういったささいなことでもいじめたりする子がいたりするんですよね…。
そんな富永さんへのいじめは中学、高校に行ってもあったそうです。
身長が伸びるのが嫌で14歳の時にはタバコを吸ったりしたこともありました。
高校へ行き、15歳からモデルとしての活動を始めてからも嫌なことを言ってくる人たちもいました。
不良男子には毎日のように肩口を小突かれ、なじられた。
「あ…怖ぇ…にらんでんじゃねぇよ! この巨人女が!」
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_590/ より引用
「モデルよりかプロレス行ったほうが有名になれるよって!! ジャイアン冨永!」
酷いですよね…いじめはダメです、最低な行為ですよね。
富永さんは身長が高い、というだけなのにこのようないじめにあっていた過去がありました。
家庭環境が複雑な冨永さんはいじめについてお母さんに話そうとしても関心を示してくれなくきちんと向き合ってくれない。
友達と呼べる人もいない。
学校でもいじめられ家でも孤独を感じながら学生生活を過ごしていたそうです。
冨永愛が受けた差別とは?
富永さんはそんな環境から抜け出したいと考えてた時、モデルの仕事に出会いました。
しかし、モデルになっても今度は差別を感じる出来事があったようです。
幼少期の父と母の離婚による寂しさ、小学校でのいじめ、中高生では自分のコンプレックスに悩んでいた時期。
引用元:https://mdpr.jp/interview/detail/1436851 より引用
その後、たまたま見つけたモデルの道で、「ここで生きていくしかない」と思ったのに、海外に行ったら、アジア人として差別や偏見。
15歳でモデルの世界へ飛び込んで17歳でNYコレクションデビューをはたした富永さん。
そんな世界で活躍するモデル界の裏側ではアジア人というだけで差別を受けてきたと言います。
「アジア人には黒しか似合わない」って言われたこともありました。ものすごく屈辱でした。モデルとしてやっていくのに、黒しか着れないなんてあり得ない。だからオーディションでは派手な原色の洋服を着たりして黒は絶対に着ませんでした。
引用元:https://mdpr.jp/interview/detail/1436851 より引用
あるブランドのショーに出演した時です。私に用意されたのはスポーティーな衣装にスニーカー。
引用元:https://www.asahi.com/articles/DA3S14057805.html より引用
ドレスにハイヒールを履く他のモデルに交ざり、スニーカーを履くのは私だけ。
同じモデル仲間に対して、人種だけで似合う似合わないを判断されるなんて納得がいきませんよね。
いじめから逃れられると思った次は人種差別を受けてしまうのです。
富永さんにとってこんなにも理不尽なことはないと感じていた部分もあったようです。
富永さんて華やかでカッコいい自分を持っているってイメージだったけど過去が結構壮絶だったんですね…。
冨永愛がいじめや差別から乗り越えられた理由は?
そんな壮絶な体験を小さいころからしてきた富永さんですが、落ちぶれることもなくモデルとして活躍を続けてこられました。
なかなかの経験をされているため、どうしても人生投げやりになってしまうのかと思わずにはいられませんが、どのようにして乗り越えてきたのでしょうか。
その乗り越えられた力は「怒り」だったそうです。
でも、モデルを一生懸命やってこれたエネルギーは“怒り”だったということに気が付いたんです。
引用元:https://mdpr.jp/interview/detail/1436851 より引用
自分に対するコンプレックスやアジア人の偏見に対する怒り…、その怒りのエネルギーがあったからこそコレクションモデルとして10年間やってこれたんだと思います。
モデルを続けてこられた理由は今までの経験に対する怒りがあったからこそなんですね。
身長が高いというコンプレックス、アジア人への差別に対する怒りなどが全て富永さんの原動力となっていたのでしょう。
でも…すごいですよね…怒りのエネルギーというものはこんなに人を動かす力があるんですね。
勿論全員が全員怒りのエネルギーだけでここまで自分を鼓舞させてチャレンジしていく精神は並大抵なものではないですよね。
それだけ富永さんの怒りというものの力がすごいということが伺えますね。
しかし、富永さん自身も結婚、出産、離婚を経て、2013年には過労で入院するなどしている内に今までの怒りなどが浄化されたと話されていました。
ご自身も母親になり、自分自身を見つめなおしたりしたそうです。
冨永愛はなぜいじめられた?そこからの克服までが壮絶すぎる…。まとめ
今回は冨永愛さんの過去のいじめのことや克服するまでについてまとめました。
・冨永愛は高身長を理由にいじめられていた
・冨永愛は東新町がコンプレックスだった
・冨永愛は海外でアジア人差別や偏見を体験した
・冨永愛が克服できたのは「怒り」のエネルギーがあったから
以上のことがわかりました。
私たちが想像している以上に壮絶な体験をされてこられた富永さん。
現在は息子さんと穏やかに過ごされているようですね。
今後もモデルとしての活動も応援していきたいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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